病院にお見舞いに行くと、なぜか小声になってしまう。
元気を届けるために行ったはずなのに、まるで自分の明るさを封印するようにふるまってしまう…。そんな経験はありませんか?
日本には「その場の空気」に合わせて自分を変える文化が根深く存在しています。
そしてその“空気”は、時に「幸せ」という一番大切な感情にまで影響を与えているのです。
一昨日、義叔母のお見舞いに行ってきました。
いい年をして、僕はいまだに病院でどうふるまえばいいのかわかりません。
「元気を届けよう!」と思って行ったはずなのに、
なぜか声は小さくなり、表情も硬くなってしまう。
重い病気と闘っている人がいる場所だからこそ、
自分の“元気”を持ち込むのがどこか憚られる──
そんな気持ちになるのです。
結果的に、普段よりも妙に優しく、妙に静かになる自分がいます(笑)。
空気を読む日本人
考えてみると、日本では**場所ごとに特有の“空気”**があります。
- 職場の張り詰めた空気
- 学校の少し窮屈な空気
- 街のざわめき
- レストランの穏やかな空気
そしてそこにいる人たちは、無意識にその空気を読み取り、
自分をその場にふさわしい存在へと調整しているのです。
病院で小声になってしまう僕も、その空気に飲まれている一人なのでしょう。
国ごとに違う“空気”
この「空気」は、国ごとにも存在しているのではないでしょうか。
アメリカに住んでいた頃、
“Are you happy?”と聞かれたら、
僕は何のためらいもなく**“Yes!!!”**と答えていました。
でも日本で「幸せですか?」と聞かれたら……
言葉が喉につかえてしまう自分がいる。
なぜでしょうか。
「幸せ」と言ってしまうと、周りとズレてしまう気がするからかもしれません。
あるいは、幸せだと宣言すること自体が、
どこか図々しいことのように感じられてしまうからなのかもしれません。
見えない空気に縛られていないか?
病院でも、職場でも、国全体でも、
僕たちは目に見えない“空気”に自分を合わせながら生きています。
それは決して悪いことばかりではありません。
思いやりや協調性は、まさにその空気が生み出してくれたものだからです。
でも時には、こう自分に問いかけてみてもいいのかもしれません。
「その答え、本当に自分の気持ちですか?」
そして少しずつでも、自分自身の声に素直に答えられるようになりたいですね。
Zoo
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